三越撤退について
c0041027_17384423.jpg毎日新聞:大阪から撤退、老舗に三つの誤算
 315年の歴史を持つ三越大阪店が5日、閉店する。日本の近代化の中で、三越は東京と並んで花開いた大阪の百貨店文化の中心的な担い手だった。輝かしい歴史を持ちながら、撤退を余儀なくされたのは、大阪の中心がキタやミナミに移ったことや阪神大震災による被災、三越自身の戦略ミスの三つの要因が挙げられる。

 ◇地の利消え-堺筋の衰退
 高級呉服店の越後屋(現三越)が店を構えた堺筋は江戸時代、大きな商店が軒を連ねる大阪随一の繁華街だった。三越によると、越後屋はこの当時、京都で仕入れた高級呉服を直送販売して、大いに繁盛した。
 堺筋の繁栄は、明治維新後も続いた。大正期、第一次世界大戦などを契機に資本を蓄積した企業や資産家が数多く現れ、勤労者の所得水準の向上や人口の急増も追い風となって、東京、大阪では本格的な消費文化の時代が到来する。ビジネス街としても発展した堺筋には、三越以外にも高島屋、松坂屋、白木屋が相次ぎ出店。昭和の初めにかけて洋風の高層建築物を競って建て、堺筋は「百貨店通り」と称されるほどのにぎわいを見せた。
 しかし、1937年、第7代の大阪市長、関一氏が手掛けた都市大改造計画によって現在の御堂筋が完成し、梅田と難波の鉄道ターミナルが直結されると、街の様相は一変する。人の流れは堺筋から御堂筋へと移り、三越以外の百貨店は続々と撤退していった。

 ◇天災に泣き-阪神大震災
 三越が堺筋に踏みとどまったのは、旧三井財閥の祖としてのプライドに加え、他の百貨店と違って「顧客に資産家や商家など富裕層を多く抱えていた」(鈴木伸之店長)事情もあった。太平洋戦争後、高度成長期を経て大阪近郊の人口が急増すると三越は攻めに出て、68年には枚方に分店を出店。74年には大阪店に新館(現本館)を建て、大幅増床した。
 しかし、三越大阪店の業績は、その後20年間で急速に悪化していった。最初の契機は84年、閉鎖した旧神戸店の従業員を引き取る受け皿となったことだった。売り上げが増えないのに人件費だけが増え、店は一気に赤字体質へと変化した。
 そして、95年に発生した阪神大震災は、三越大阪店を危機に追い込んだ。旧本館は外壁に亀裂が入り、内部も各階で水漏れや破損の被害を受けて、三越は旧本館の取り壊しを決定。その跡地に96年5月、現在の新館をオープンさせるが、売り場面積は被災前の約2万3000平方メートルから、半分以下の約1万平方メートルへと減少した。
 大阪店の売上高は94年から95年にかけて一気に約90億円減少。ピーク時の90年に526億円あった売上高は、95年には6割弱の309億円まで減少していた。

 ◇人知及ばず-移転に失敗
 そんな三越にとってさらに致命的だったのが、97年3月に行われた旧国鉄大阪鉄道管理局跡地の競争入札の敗退。現JR大阪駅の北側に隣接する同跡地に、三越は真っ先に進出を表明、阪神大震災の被災前から、大阪店の移転に強い意欲を示していた。
 被災で取り壊した旧本館は地下1階、地上8階の重厚な洋風建築だったが、その跡地に建てた現新館は地上2階建ての、中途半端な作り。その理由は、鉄道管理局跡地の入札では下馬評で三越が最も有力視され、三越自身も「どうせ数年すれば梅田に店を移転できる」と受け止めており、本格的な修復投資を行わなかったためだった。
 この誤算によって、新規顧客の獲得もままならない三越大阪店は、さらに窮地に追い込まれていく。00年には、閉鎖・売却予定だった心斎橋のそごう大阪店の用地取得に動く。しかし、そごうが売却を撤回、同地で再建することを決め、この計画も立ち消えになった。
 大阪店の累積損失は84年から03年度末までの20年間で600億円を超え、三越は04年9月、ついに閉鎖と土地の売却を決断した。315年の歴史を刻んだ堺筋・高麗橋の地を離れる三越は、6年間の空白を経て11年、JR西日本がJR大阪駅北側に建設する大阪駅北ビルに再出店する方針だ。

 ◇さらばライオン
 三越のシンボルとして知られる「ライオン像」は、現在、府内では枚方店に1頭だけが残されているが、この像も閉店で撤去される予定だ。大阪店にも青銅製のライオン像が置かれていたが、95年の阪神大震災で被災し旧本館を取り壊した際に撤去され、不在となっていた。
 元のライオン像は英ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔の墓石にうずくまるライオン像を模したもので、1914年、三越が東京・日本橋に本格洋風建築の新店舗を建設した際に「商いの王者の象徴」として、店舗入り口に置かれた。72年、創業300年の記念行事として各支店にも、日本橋本店の約半分のサイズ(全長約135cm、頭高約60cm)の像が設置された。
 大阪店のライオン像はその後、多摩センター店(東京都多摩市)で再利用されているが、枚方店のライオン像は「当面保管するが、再利用先などは未定」という。
 3日から閉店日の5日まで行われる枚方店のさよならイベントでは、各日午前11時と午後3時の2回、各回先着20人限定で、ライオン像にまたがって記念撮影できる最後の撮影会が行われる。

 ◇倉敷も5日閉店
 三越は5日、大阪店のほか、枚方店(枚方市)、倉敷店(岡山県)、横浜店(横浜市)も閉店する。

 ◆三越大阪店の年譜◆
年          事項
1691(元禄4)  大阪・高麗橋の地に江戸駿河町越後屋の出店として開設
1893(明治26) 三井呉服店と改称
1904       三越呉服店と改称/デパートメントストア宣言
1912       堺筋に市電開通、記念売り出し開催
1917(大正6)  新館(後の旧本館)完成
1920       東館を増設
1928(昭和3)  三越と改称/2~6階にエスカレーター設置
1945       売り場の一部を米軍が接収
1968       枚方店を開設
1974       新館(現本館)を増築
1995(平成7)  阪神大震災発生、旧本館外壁に亀裂/旧本館閉鎖、撤去
1996       旧本館跡地に新館開設
2002       最後の全面改装
2005       5月5日、大阪店、枚方店閉店

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by nakano-shima | 2005-05-05 17:37 | ニュース
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