日本ビジネスの原点「船場」
大阪日日新聞:はだかの大阪(3) 日本ビジネスの原点「船場」 丹波 元
c0041027_2041350.gif 船場という地域は大阪の核ともいえ、日本の、いや歴史的にみれば、世界のビジネス街の原点のひとつ、と呼んでも差し支えないほどに誇り高き土地である。
 図は、色分けした、旧大坂三郷の中で船場を示す概略図である。北は土佐堀川、南はかつて運河であった長堀通、東は東横堀川、、西は以前道頓堀川へつながっていた西横堀川、つまり現在の阪神高速環状線に囲まれた面積約230haの地域で、甲子園球場のざっと60個分は優に入る広さである。
 図の天満・北・南の各組は、明治初期までの大坂の行政区割りで、各組には惣会所があり、そこには町人から選ばれた惣年寄(現在なら区長といったところか)の下に多くの町役や若い衆が詰め、ほとんど自治に近い形で町政を司っていた。
 船場は北組と南組に跨ってあり、本町通りを境に、北側を北船場、南側を南船場と称した。船場の歴史は、豊臣秀吉が大坂城を築城した際、周辺の有力商人を集め、天下一の商人町として形成されたのに始まった。地名の由来は、その昔一帯は砂洲で海水が入り込み、船が着けられたところから、船場と呼ばれるようになったといわれる。
 船場が天下の経済の中心となったのは、徳川時代に入ってからである。商都として、株仲間(ギルド)の特権が与えられ、諸国のあらゆる産物が、一旦船場商人の手を経て、再び全国へ出荷されるというシステムが完成し、両替商、木綿太物問屋、薬種問屋などいろんな問屋が集中して多くの豪商を生んだ。江戸後期からは大名貸しで勢力を増し、約束手形も船場商人が考え出したものとされている。
 昭和からは繊維雑貨中心に大小の商社がひしめき、伊藤忠、丸紅、トーメンといった大手商社も船場から巣立った。
 1970年の万博後、荷さばきや倉庫の都合で、一部が大阪北部の箕面へ移転し、不況もあって、その力がかなり衰退したが、今もって<船場>のブランド力は強く、往年の活力を呼び戻そうと、最近、旦那衆(経営者)が力を合わせ、経済だけでなく、文化面にも目を光らせ出したのは頼もしい限りである。
c0041027_20514330.jpg 船場についてよく知っている人は少ないのでは?調べようと思っていたら、記事になっていたので。
 自分が大阪人だからといってひいきしたりとか抜きで、船場のオフィス街は日本一だと思います。
あれほど広域にわたり、整然とした綺麗なオフィス街は他にはないと思います。ポイントは碁盤の目と御堂筋とそれに沿ったビルでしょう。あと、中央大通りのようなところも他にはないですね。


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by nakano-shima | 2005-05-15 20:46 | ニュース
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