中甚兵衛の子孫が『大和川叢書』シリーズ刊行
直線的で川幅が広い、淀川と大和川。どちらも人口の川だとご存じでしたか?
大川が旧淀川なわけです。
大阪市立の小学校なら、授業で習うかな?

大阪日日新聞:"大阪知らず"解消を 大和川叢書シリーズ発刊
 かつて暴れ川だった大和川を付け替え、河内平野を水難から救った功労者・中甚兵衛の子孫、中九兵衛さん(64)=大阪市東住吉区=が、大和川叢書(そうしょ)シリーズを刊行した。大和川にスポットを当て、誰もが自由に発表できる場をつくるのが狙い。中さんは「何の制約にもとらわれず、あらゆる角度から大和川をとらえてほしい」と思いを込めている。
 奈良県から大阪府にかけて東西に流れる大和川は、かつて現在の柏原市から幾筋にも分かれ、大阪城の北で淀川と合流。古来、大雨のたびに洪水を繰り返し、流域の住民を苦しめた。
 江戸時代、抜本的な治水のために半世紀にわたって川の付け替えを訴え続けたのが、今米村(現東大阪市今米)の農民、中甚兵衛。幕府は1704年、付け替え工事に着手し、甚兵衛を工事統括部門に登用すると改流を8カ月足らずで成し遂げた。
 中さんは甚兵衛から数えて十代目に当たる。叢書を刊行するきっかけは、中家に伝わる史料や大和川の関連書を二十年以上にわたって研究してきた結果、根拠のない説が流布していたり、川が人工的に造られたことすら知られていない“大阪人の大阪知らず”を目の当たりにしたこと。
 旧流域を含め、大和川にかかわる地域には歴史・文化・暮らしなどあらゆる分野で膨大な情報が蓄積しているため「その一つ一つを掘り起こして魅力を探り、“大阪知らず”が少しでも解消されれば」とシリーズの刊行に踏み切った。
 第一弾は「万葉集」の歌に見られる「息長(おきなが)川」が平野川だった可能性を指摘する「於吉奈我河(おきなががわ)考」(A5判、136ページ)で、中さんが執筆した。
 息長川をめぐっては古くから万葉研究者によって滋賀県を流れる川とされてきた。しかし近年、大阪市東住吉区の郷土史研究者によって地域を流れる今川ではないかという説が広まり、地元で建碑計画も進んでいる。
 しかし、中さんは息長川が河内の川という説には賛成するものの、大和川旧筋の研究から今川説の矛盾点を指摘。平野川こそふさわしいと結論付けた。「通説を学び通説を疑う姿勢でこれからも検討を続けていきたい」と意欲を見せている。
 定価1000円。申し込みや投稿などの問い合わせははがきかメールで中九兵衛さんへ。
あて先は〒546-0035、大阪市東住吉区山坂5-7-7。メールアドレスはjyk-naka@oct.zaq.ne.jp

中甚兵衛ものがたり


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by nakano-shima | 2006-07-18 00:24 | ニュース
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