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武田の研究所どうなる・・・
産経:武田の新研究所誘致費200億円に異論 大阪府議会
 製薬最大手の「武田薬品工業」(大阪市)が建設を計画している新研究所をめぐり、大阪府と神奈川県が誘致合戦を繰り広げている問題で、府が200億円規模の補助金を同社に提示していることが明らかになり、13日の府議会常任委員会で、破格の支援を疑問視する意見が相次いだ。府は詳細な支援策を明示していないが、自治体の企業支援策としては最大規模の補助金となることから、今後さらに論議を呼びそうだ。
 武田の国内研究拠点は、大阪市淀川区と茨城県つくば市の2カ所。このうち大阪の研究所は、武田の発展を支えたシンボル的な存在とされ、約850人の研究者が所属している。しかし、老朽化が進行し、建て替え案が浮上。中長期的な研究部門の強化に向け、2カ所の研究所を集約するため、新研究所の候補地選びが進められていた。
 9月上旬に、武田が大阪府茨木市のバイオサイエンス拠点「彩都」か、神奈川県藤沢市の自社工場跡地で新研究所設立の検討に入ったことが判明。両府県の誘致合戦が熱を帯び始めた。
 藤沢市の場合は用地代がかからないうえ、地元の企業誘致支援制度の最高額は80億円。一方、府の支援制度では本来なら30億円にとどまるが、関係者によると、対抗策として武田の投資額約800億円のうちの2割負担や緑地整備費の肩代わりなどで計約200億円の支援を武田側に提示したという。
 破格の支援策を提示した背景には、府にとって武田の研究所を彩都の中核施設に位置づけたいとのねらいがあるだけでなく、最近、製造業の工場が大阪から他府県に流出していることや誘致にも失敗していることがある。
 特に武田は大阪が発祥の地で、大阪を代表する企業のひとつ。府の幹部は「研究所とはいえ、もともとある施設がなくなればただのマイナス」と説明。さらに、「旧通産官僚だった太田房江知事が研究所誘致に失敗すれば影響が大きい」と指摘する声もある。
 それだけに、太田知事自ら上京し、武田東京本社の幹部とトップ会談して、誘致活動を展開してきた経緯があり、府にとっては負けられない戦いになっている。
 しかし、一企業に対する破格の支援策に、府議会が反発。この日の商工労働委員会では、「補助金制度の上限は30億円。制度改正をするなら議会に諮るべきだ」「民間同士ならともかく、府民の税金を青天井で出せるのか」「補助金合戦をして、他の企業が要求したらどうするのか」などの異論が相次いだ。
 府側は支援策自体について「個別企業の話は控える」として詳細を明らかにしなかったが、新研究所誘致に成功した場合でも雇用効果は200人増と限定的になるとみられ、今後、議会や府民の理解が得られるかどうか困難な局面が予想される。

雇用人数の問題じゃないわけだけど。地方が工業誘致していると違って。
まぁ、このままでは、武田薬品工業の本社機能が東京に移るのも時間の問題。
幹部は東京にいるんですから。

読売:旧藤沢薬品本社ビル閉鎖 製薬会社の「道修町」離れ進む(2006年09月29日)(キャッシュ
 薬の町として知られる大阪市中央区道修町(どしょうまち)にある旧藤沢薬品工業の本社ビルが30日で閉鎖される。昨年4月に山之内製薬と合併して誕生したアステラス製薬(東京都)の業務集約の一環。道修町発祥の大手製薬会社の一つだったが、本社ビル閉鎖で完全に道修町から姿を消すことになる。
 藤沢は1894年、道修町で薬問屋「藤沢商店」として創業。1961年に現在の道修町3丁目に本社ビルを建てた。合併後も同ビルに海外営業部や大阪経理センターなどを残し、社員約100人が勤務していたが、今年3月、業務の東京集約で閉鎖を決定。今後本社ビルをどうするかは「未定」という。
 道修町は豊臣秀吉が大坂城を築いて以来、輸入された漢方薬の原料を扱う商人たちが、このかいわいに集まったのが始まり。明治後、有力な薬問屋が製薬業に転じ、日本を代表する製薬会社が相次いで誕生した。
 だが、ここ数年、製薬会社の道修町離れが進んでいる。小野薬品工業は03年9月に中央区久太郎町に新社屋を建て、本社機能を移転。道修町に本社を置く国内トップの武田薬品工業も、長谷川閑史社長、武田国男会長は近年は東京本社を拠点にしている。
 日本の製薬業の成り立ちなどを展示している道修町2丁目の「くすりの道修町資料館」の久保武雄館長(83)は「藤沢薬品が姿を消すのは非常に寂しい。ただ、道修町のブランドは健在。勢いのある中小の製薬会社が道修町に来ることを期待している」と話す。


厚生労働省が東京にありますからね。

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by nakano-shima | 2006-10-15 23:32 | ニュース
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