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後期難波宮から築地塀と鬼瓦
朝日:後期難波宮跡 基壇状遺構と瓦出土(2006年12月21日)
c0041027_22413467.jpg 難波宮跡公園(大阪市中央区法円坂1丁目)を発掘調査している市教委と市文化財協会は20日、後期難波宮の朝堂院跡西側から、建物の土台となる基壇状の遺構が見つかった、と発表した。周辺では、ほぼ完全な形をした鬼瓦を含む多数の瓦が出土しており、瓦ぶきの屋根のある築地塀(ついじべい)の跡と推定した。同市教委は、この築地塀に囲まれた格式の高い施設が別にあった可能性がある、としている。
 後期難波宮は、744年から約1年置かれた都だが、宮の造営は726年に始まり、宮殿建物は784年まで存続した。
 調査結果によると、築地塀とみられる遺構は、すでに確認されている五間門(ごけんもん)の南側で出土した。長さ16メートル以上、幅5メートル以上にわたって南北方向に地山を削り、周辺より高くしてあった。塀の高さは最高で約4メートルと推定される。
 遺構の西側からは、「重圏文(じゅうけんもん)」という同心円や弧線模様のある後期難波宮独特の瓦が十数点出土した。この中には、難波宮で数例目となる、ほぼ完全な形の重圏文鬼瓦(幅約33センチ、高さ約25センチ、厚さ約6センチ)もあった。築地塀の屋根に使われたらしい。
 朝堂院は役人が儀式や政治をする場所。平安宮(京都)では朝堂院の西隣に「豊楽院」という宴会を伴う儀式をする格式の高い施設があった。後期難波宮と同時期に造営された平城宮(奈良)にも同様の施設が存在したことから、今回も築地塀の近くに同じタイプの施設があった可能性があるという。
 現地説明会は23日午後1時半~3時半。
問い合わせは市文化財協会(06-6943-6836)へ。
大阪日日新聞:築地塀の「基壇」遺構? 難波宮跡・宮殿構造知る手掛かり
読売新聞:難波宮跡で築地塀跡が出土(2006年12月21日) (キャッシュ
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by nakano-shima | 2006-12-21 22:42 | ニュース
最古の迎賓館!? 難波宮跡で高床建物跡出土
難波宮跡地から、高床建物跡が見つかったそうです。迎賓館の望楼だとしたら、飛鳥京のそれよりも古いということになります。

朝日新聞:回廊巡らす高床建物跡出土 前期難波宮跡(2006年11月15日)
c0041027_22362084.jpgc0041027_22365553.jpg 前期難波宮跡で、周囲に回廊跡がある7世紀中頃(飛鳥時代)の高床建物跡が見つかったと14日、大阪市教委と市文化財協会が発表した。当時、難波宮の東に広がっていた湖を望む崖の上に立っていたとみられ、市教委は「皇族が眺めと酒宴を楽しんだ望楼だろう。外国使節をもてなした宮殿内の迎賓館としての機能もあったのではないか」としている。迎賓館とすれば、最古とされる飛鳥京の発掘例を約10年さかのぼることになる。
 市教委によると、望楼跡は、宮殿中心の内裏から東約200mの難波宮東方官衙(かんが)と呼ばれる地域にあった。南北15m、東西6mの掘っ立て柱建物。柱跡は直径約50cm、柱穴は長径約1.3m。高さ10m超の重層建物だったとみられる。
 幅3mの回廊跡も見つかり、南側に大門跡もあった。回廊の内側に直径4cm前後の小石が敷き詰めてあり、こうした石敷きは内裏以外では出土しておらず、格式の高い施設だった可能性が高い。
 建物跡は台地上にあり、7世紀半ばには周囲は河内湖(現・東大阪市付近)が広がる絶景だったらしい。孝徳天皇や大化の改新(645年)で活躍した中大兄皇子(後の天智天皇)らが湖を眺めながら酒宴をした饗宴施設と考えられると市教委。一方で、回廊で周囲から閉鎖するのは神社建築とも共通するとの見方も示している。
 説明会は18日午後1時半~3時に、大阪市中央区法円坂1の1の現地で。小雨決行。
京都新聞:天皇が使う楼閣風宴会場か 難波宮から景色楽しむ?
神戸新聞:天皇が使う楼閣風宴会場か 難波宮から景色楽しむ?


難波宮といえば、最古の万葉仮名文が書かれた木簡も見つかっています。
   → 2006-10-13 :難波宮で歴史的大発見
それについても新たに記事が出ていました。
朝日新聞:最古の万葉仮名文、7世紀半ばの木簡に 成立30年早まる(2006年10月20日) (キャッシュ

また、産経新聞からは、こんな、らしい主張もでています。
産経新聞:【主張】万葉仮名の木簡 文字の恩恵に思いを致せ 平成18(2006)年10月16日[月]  (キャッシュ


また、藤井寺では、新たに古墳が見つかったそうです。
朝日:市野山古墳 新たに陪塚2基発掘(2006年11月16日) (キャッシュ



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by nakano-shima | 2006-11-16 22:36 | ニュース
難波宮で歴史的大発見
c0041027_23152328.jpg難波宮から最古の万葉仮名が書かれた木簡が見つかったとのことです!
明日、明後日、大阪歴史博物館で無料公開!→詳細

知らないような人はまさかいないとは思うけど、一応、難波宮の場所はここ

読売新聞:万葉仮名記した最古の木簡、難波宮跡で出土(2006年10月13日)
 大阪市中央区の難波宮(なにわのみや)跡で、漢字1字に1音をあてる万葉仮名で文を記した最古の木簡(7世紀中ごろ)が出土し、市教委と市文化財協会が12日、発表した。「春草のはじめのとし」と読め、和歌の一部とみられる。万葉仮名の文は天武朝(673~686年)以降に成立したという定説を20~30年さかのぼり、日本語の表記や和歌の始まりを知る第一級の資料となる。
 木簡は長さ18.5cm、幅2.7cmで、下部は折れてなくなっていた。表に「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)□(□は判読不能)」の12文字が墨で書かれていた。652年に完成したとされる難波宮の整地土の直下の地層で見つかったことや、一緒に出土した土器から年代を確認した。「春草の」は万葉集で枕詞として使われた句で、五七調の韻文の可能性が高いことから、市教委などは和歌の一部とみている。
 木簡は、大阪市中央区の大阪歴史博物館で14、15両日無料公開され、18~23日、有料で公開される。
 沖森卓也・立教大教授(日本語学)の話「日本固有の言葉を漢字で表現する方法が大化改新(645年)前後に確立していたことを示す物的証拠となり、定説を覆す。文学的にも非常に大きな発見だ」

朝日:最古の万葉仮名、7世紀半ば木簡に記載 大阪・難波宮跡キャッシュ

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by nakano-shima | 2006-10-13 23:14 | ニュース