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最古の迎賓館!? 難波宮跡で高床建物跡出土
難波宮跡地から、高床建物跡が見つかったそうです。迎賓館の望楼だとしたら、飛鳥京のそれよりも古いということになります。

朝日新聞:回廊巡らす高床建物跡出土 前期難波宮跡(2006年11月15日)
最古の迎賓館!? 難波宮跡で高床建物跡出土_c0041027_22362084.jpg最古の迎賓館!? 難波宮跡で高床建物跡出土_c0041027_22365553.jpg 前期難波宮跡で、周囲に回廊跡がある7世紀中頃(飛鳥時代)の高床建物跡が見つかったと14日、大阪市教委と市文化財協会が発表した。当時、難波宮の東に広がっていた湖を望む崖の上に立っていたとみられ、市教委は「皇族が眺めと酒宴を楽しんだ望楼だろう。外国使節をもてなした宮殿内の迎賓館としての機能もあったのではないか」としている。迎賓館とすれば、最古とされる飛鳥京の発掘例を約10年さかのぼることになる。
 市教委によると、望楼跡は、宮殿中心の内裏から東約200mの難波宮東方官衙(かんが)と呼ばれる地域にあった。南北15m、東西6mの掘っ立て柱建物。柱跡は直径約50cm、柱穴は長径約1.3m。高さ10m超の重層建物だったとみられる。
 幅3mの回廊跡も見つかり、南側に大門跡もあった。回廊の内側に直径4cm前後の小石が敷き詰めてあり、こうした石敷きは内裏以外では出土しておらず、格式の高い施設だった可能性が高い。
 建物跡は台地上にあり、7世紀半ばには周囲は河内湖(現・東大阪市付近)が広がる絶景だったらしい。孝徳天皇や大化の改新(645年)で活躍した中大兄皇子(後の天智天皇)らが湖を眺めながら酒宴をした饗宴施設と考えられると市教委。一方で、回廊で周囲から閉鎖するのは神社建築とも共通するとの見方も示している。
 説明会は18日午後1時半~3時に、大阪市中央区法円坂1の1の現地で。小雨決行。
京都新聞:天皇が使う楼閣風宴会場か 難波宮から景色楽しむ?
神戸新聞:天皇が使う楼閣風宴会場か 難波宮から景色楽しむ?


難波宮といえば、最古の万葉仮名文が書かれた木簡も見つかっています。
   → 2006-10-13 :難波宮で歴史的大発見
それについても新たに記事が出ていました。
朝日新聞:最古の万葉仮名文、7世紀半ばの木簡に 成立30年早まる(2006年10月20日) (キャッシュ

また、産経新聞からは、こんな、らしい主張もでています。
産経新聞:【主張】万葉仮名の木簡 文字の恩恵に思いを致せ 平成18(2006)年10月16日[月]  (キャッシュ


また、藤井寺では、新たに古墳が見つかったそうです。
朝日:市野山古墳 新たに陪塚2基発掘(2006年11月16日) (キャッシュ



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by nakano-shima | 2006-11-16 22:36 | ニュース
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